名古屋高等裁判所 昭和45年(う)262号 判決 1971年2月25日
主文
原判決を全部破棄する。
被告人三名をそれぞれ罰金一〇、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は、名古屋地方検察庁検察官検事中嶋友司名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人小栗孝夫名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。
一、控訴趣意中、愛知県公安条例(以下、単に県条例という。)の解釈に誤りがある旨を主張する論旨について。
所論は、要するに、原判決は、(一)、行進又は集団示威運動(以下、単に集団行動という。)について、県条例四条三項に基づく条件を付しうる場合を「当該集団行動が公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起することが明瞭であると認められる場合」のみに限定し、しかも、県条例五条一項後段のいわゆる条件違反の罪が成立するための要件として、「当該集団行動が直接公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起すること」をも要求し、かてて加えて、(二)、条件違反の罪を規定した県条例五条一項後段は、いわゆる集団行動の単純参加者にすぎないものをも処罰する趣旨の規定ではない旨を説示しているのであるが、原判決の示した右(一)および(二)のような解釈は、県条例の明文の規定を無視した独断的、恣意的解釈以外のなにものでもないのであつて、これが不当であることは明らかである、というのである。
そこで、まず、右所論のうち(一)の部分について考えてみると、そもそも、集団行動は、それが公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によるものでないかぎり、本来国民の自由になしうるところであるから、いわゆる公安条例により、これらの集団行動につき一般的な許可制を定めて事前に抑制するがごときことは、表現の自由を保障した憲法二一条の趣旨に照らして、とうてい許されないところといわなければならない。なるほど、所論も強調しているように、集団行動は、単なる言論、出版等による表現とは異なつて、その性質上、ときとして一般公衆の生命、身体、自由、財産ないしは公共の安寧、秋序を侵害し、又はこれに脅威を与えるというような危険な事態にまで発展することのありうることを否定することができないのであるから、集団行動にみられるこのような特質にかんがみると、公共の安寧、秩序を維持し、地方住民の安全と利益を保持すべき責任を負担する地方公共団体において、地方公共の安寧、秩序が不当な集団行動によつて侵害されるのを防止するための必要かつ最少限度の事前の措置として、特定の場所又は方法による集団行動につき、合理的かつ明確な基準のもとに、あらかじめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめることとし、とくに、公共の安寧、秩序に対して明らかに差し迫つた危険をもたらすことが予見されるような集団行動については、これを禁止し、又はこのような危険を回避するのに必要かつ最少限度の制約を付しうる旨の規定を、いわゆる公安条例のうち設けることにしても、なんら憲法の保障する国民の自由を不当に侵害することにはならないものと解すべきであろう。これを本件の県条例についてみると、まず、その四条一項は、集団行動の許可について、「公安委員会は、第二条の申請があつた場合には、行進又は集団示威運動が直接公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起することが明瞭であると認める場合の外、これを許可しなければならない。」と規定し、これによつて、公安委員会をして、原則として許可を義務づけ、不許可となしうる場合を厳格かつ最少限度に制限しているのであるから、県条例が集団行動を一般的に禁止していないことはいうまでもないし、また前記の基準に照らしてみても、集団行動の許否自体に関する県条例四条一項の規定が、憲法の保障する表現の自由の一態様たる集団行動の自由を不当に制限する趣旨にいでたものでないことは、きわめて明らかであつて、疑いをいれないところというべきであろう。ところで、県条例は、その四条三項において、所論にいわゆる条件付与の要件ないし基準について、「第一条の許可に際し、公安委員会は、公共の安全又は公衆の権利を保護するために必要と認める場合には、前条に掲げる事項について必要な条件を付することができる。」と規定している。しかして、県条例の運用いかんによつては、この種の条件付与が事実上正当な集団行動をも制約する機能を営むに至るという危険性を伴うことは、なんびともこれを否定し得ないところであるから、上述のような憲法の趣旨に照らすならば、この種の条件付与が許されるための要件ないし基準としては、集団行動自体の許否を決する場合におけると同様に、「もし、なんらの条件をも付することなく集団行動を許すとすれば、その集団行動が公共の安全を維持するうえに直接危険を及ぼすことが明瞭と認められる場合」に限定さるべきであり、またこのような場合に付しうる条件の内容も、「公共の安全を保持するうえに必要かつ最少限度のもの」にかぎらるべきものといわなければならない。しかるに、右摘録にかかる県条例四条三項は、単に、「……公共の安全又は公衆の権利を保護するために必要と認める場合……」と定めているにすぎないから、県条例の定めているこのような基準は、一見すると、集団行動自体の許否を決する場合のそれに比較して、はなはだしくゆるやかに過ぎるものといわざるを得ないのである。しかしながら、県条例といえども、これが憲法の保障する国民の自由を不当に制限する目的ないし趣旨にいでた立法でないことは勿論であるから、このような視点にたつて県条例四条三項を同条一項と総合して合理的に考察するならば、右四条三項は、公安委員会をして、単に、「公共の安全又は公衆の権利を保護するために必要と認める場合」であれば、直ちに集団行動に対して、県条例三条に定められた対象事項につき必要な条件を付することを許容するという趣旨にいでたものと理解すべきではなく、かえつて、上述のように、もし、なんらの条件をも付することなく集団行動を許すとすれば、それが直接公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起することが明瞭であると認められる場合にかぎり、公共の安全を保持するうえに必要かつ最少限度の条件を付しうる、という趣旨にいでたものと理解すべきである。県条例四条三項は、まさにこのようなものとして理解すべきであり、また、このように理解することによつて、はじめて集団行動に対して条件を付することが、真にやむを得ない最少限度の措置として、憲法に適合する所以を是認することができるであろう。検察官は、集団行動に対して条件を付しうる要件ないし基準として、県条例の文言どおり、「公安委員会が公共の安全又は公衆の権利を保護するために必要と認める場合」であることを要し、かつ、これをもつて足りる旨をしきりに強調し、県条例四条三項をこのように解釈することこそが、県条例の規定の文言に忠実な所以であり、また、このように解釈しても、なんら憲法の保障する表現の自由を不当に侵害することにはならない旨を主張するけれども、右所論の採るを得ないことは以上の説示によつて明らかというべきである。
ちなみに、本件証拠によると、県公安委員会は、被告人らの参加した本件集団行動につき、(1)、行進の隊列は四列以下の縦隊とすること、(2)、うずまき行進、蛇行進およびことさらに隊列の巾を広げ、もしくは遅足行進、停滞その他一般の交通に障害を及ぼすような形態にならないこと、(3)、行進中においては、プラカード、旗竿などを振り廻し、又は横に倒すなど、人に危害を及ぼすような状態にならないこと、という三条件を付したことが認められる。ところで、これらの条件は、勿論、その文言とおりに形式的に理解さるべきではなく、上述のような条件付与の本質にたちかえつて、これを合理的、機能的に理解しなければならないのである。そして、このような観点にたつて、これらの条件を検討するとき、われわれは、これらの各条件について、いずれも、「公共の安全に対して直接危険を及ぼすことが明らかな……」という趣旨の実質的制限が伴つていることを看取することができるのである。本件の集団行動に対して、県公安委員会の付した条件の意味、内容をこのようなものとして理解するとき、これらの条件は、前記の基準に照らして、まさに、やむを得ない最少限度の制限ということができ、したがつて、これがなんな憲法に抵触しない所以を首肯することができるものというべきであろう。そうだとすれば、集団行動が「公共の安全に対して直接危険を及ぼすことが明らかな事態を惹起すること」もまた県条例五条一項後段のいわゆる条件違反の罪が成立するための不可欠の構成要素というべきであるから、もし、当該集団行動が右説示のような「公共の安全に対して直接危険を及ぼすことが明らかな事態を惹起」しないかぎり、いまだ当該集団行動を構成する個個人の行為は、条件違反の罪の構成要件を充足するに至つていないものと理解せざるを得ないのである。
ところで、原判決が、条件付与の要件ないし基準など所論(一)の点について説示しているところは、以上の説示と同旨に帰着するものと理解されるので、所論(一)の点に関する原判決の法令解釈には、所論のような違法のかどは存しないものといわざるを得ない。
つぎに、所論(二)の部分について考察してみると、原判決が、いわゆる集団行動の単純参加者は条件違反の罪を規定した県条例五条一項後段の行為主体のうちに含まれない旨の説示をしていることは、なるほど所論の指摘しているとおりである。この点について、当裁判所は、原判決の説示に賛同することはできないのであつて、検察官の所論と同じく、県条例五条一項後段が、条件違反の集団行動に単に参加したに過ぎないものをも含めて、条件違反の行為にいでたものをすべて処罰する趣旨の規定であると解するものである。たしかに、原判決も指摘しているように、このような県条例の規定が、他の多くの地方公共団体によつて制定せられた公安条例に比較して、かなり特異のものであることは、これを否定することができないであろう。しかしながら、他面公安委員会において条件を付しうる場合の要件およびその条件の内容を、前説示のように憲法の趣旨に従つて厳格に理解する以上、条件違反の行為は、とりもなおさず、直接公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起する行為にほかならないのであるから、その違法性の程度は、その行為主体がいわゆる単純参加者である場合をも含めて、かなり高いものがあることは、これを認めざるを得ないのである。このような観点にたつて考察すれば、集団行動の単純参加者をも含めて、条件違反の行為にいでたものに対しては、すべて刑事罰をもつて臨むことにした県条例五条一項後段の規定は、その立法政策の当否の問題は別として、必ずしも、それほど合理性に乏しいものでもないというべきである。もとより、単純参加者をも処罰の対象とした県条例五条一項後段の規定が憲法二一条に違反して無効であるなどとはとうてい考えられないのである。そうだとすれば、いわゆる集団行動の単純参加者は、県条例五条一項後段の条件違反の罪の犯罪主体たり得ない旨の説示をした原判決には、法令の解釈を誤つた違法があるものといわざるを得ないのであるが、原判決は、挙示の証拠により、被告人らが、本件の集団行動において、いわゆる単純参加者としての行動のみに終始したものではなく、かえつて条件違反の集団行動を指揮するというがごとき積極的行為にいでたものであるとの事実を認定し、このような事実認定に立脚して、被告人らが優に条件違反の罪の犯罪主体たりうることを肯定しているのであるから、結局、原判決に存する右のような法令解釈の誤りは判決の結論に影響を及ぼすものではないといわざるを得ない。なお、所論は、右のような法令解釈の誤謬を犯した原判決においては、本件の集団行動に際し、とくに条件違反の行動を指揮誘導するというような積極的行為にいでた被告人らの犯情が、単純参加者を含むその余の条件違反者の犯情に比較して、ことに悪質、重大な所以が看過されているものと認めざるを得ないから、原判決に存する前記のような法令解釈の誤りが、少なくとも、本件の量刑に重大な影響を及ぼすことは明らかである、と主張する。しかしながら、およそ刑の量定は、当該犯罪の法定刑ないし処断刑の範囲内において、被告人の年令、性行、経歴を初め、犯行の動機、態様、罪質、犯行後の状況など証拠によつて認められる諸般の情状を総合考量して行なわれるべきものであるから、本件においても、原判決にみられる右程度の法令解釈の誤りが被告人らの量刑に所論の指摘するような影響を及ぼすことがあるなどとは、とうてい考えられない。
これを要するに、原判決には県条例の解釈を誤つた違法があり、しかもこの違法が原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである旨を主張する本論旨は、いずれもその理由がないことに帰着し、採るを得ない。
二、控訴趣意中、道路交通法(以下、単に道交法という。)の解釈に誤りがある旨を主張する論旨について。
所論は、要するに、原判決は、集団行動が公安委員会の付した条件に違反することなく行なわれた場合においては、仮にその集団行動を構成する個々人の行為が外形上道交法七六条四項二号に違反するようなことがあるとしても、その行は、社会的に認容された行為として、右道交法違反の罪を構成しない旨を説示しているのであるが、このような原判決の判断には、道交法の明文の規定を無視した違法のかどがあるものといわざるを得ない、というのである。
そこで考えてみると、一般に、本件のような道路上において行なわれる集団行動にあつては、仮にこれが公安委員会の付した前説示のような条件になんら違反するところなく行なわれたというような場合であつても、事柄の性質上、その集団行動を構成する参加者個々人の行動のうちに、道交法七六条四項二号の禁止するような行為が、ある程度しかもほとんど不可避的に随伴して起こるという事態のありうることを否定することができないのである。ところで、すでに説示したように、正当な集団行動が憲法の保障する表現の自由の一態様であることに深く思いをいたし、かつ、このような集団行動においても、前記のような随伴現象がほとんど不可避的に起こらざるを得ないということをも併せて考量すると、少なくとも、その集団行動が公安委員会の許可に基づき、しかも公安委員会の付与した条件になんら違反することなく行なわれたものであるかぎり、仮にその集団行動を構成する個々の参加者の行動のうちに、形式的にみて右道交法の禁止しているような行為が含まれているというようなことがあつたとしても、そのような行為は、社会的に認容された正当な集団行動のなかに包摂された行為、すなわち正当な集団行動と同じように社会的に認容られた行為にほかならないのであつて、なんら右道交法違反の罪を構成するものではないと解するのが相当である。所論の点に関して原判決の示した法律的見解も、右に説示したところと同趣旨に帰着するものと認められるので、原判決に所論のような法令解釈の誤りはなく、論旨は採るを得ない。
三、控訴趣意中、事実誤認を主張する論旨について。
所論は、要するに、被告人らに対する本件公訴事実中、自由民主党愛知県本部前道路上での約五分間にわたる「すわりこみ」の部分につき、原判決が、本件の「すわりこみ」によつて、いまだ著しい交通障害が生じたものとは認められないとして、右の部分について、被告人らを無罪にしたのは、証拠の評価を誤り、事実を誤認したものといわざるを得ない、というに帰着する。
よつて、判断すると、被告人らに対する本件公訴事実中、所論の自由民主党愛知県本部前道路上(正確には、名古屋市中区丸の内三丁目四番一〇号先車道上)での「すわりこみ」の部分について、原判決が、本件の「すわりこみ」によつて著しい交通障害が生じたものとは認められないとして、右の部分につき被告人らを無罪としたことは、なるほど所論の指摘するとおりである。
そこで、原審が適法に取り調べた証拠を精査し、さらに当審における事実調べの結果をも参酌して、原判決の右事実認定の当否を検討するに、これらの証拠を総合すれば、被告人らが、本件の集団行動に参加した学生デモ隊約一三〇名とともに「すわりこみ」を行なつた現場は、南北にのびる市道大津通りの西側車道上で、同市道は、現場の北方約三〇メートル付近で、東西にのびる市道外堀通りと交差して、通称大津橋交差点を形成していること、市道大津通りも、市道外堀通りも、車両の通行量はきわめて多く、現場付近の交通は著しく輻湊しており、前記の大津橋交差点においては信号機による交通整理が行なわれていること、市道大津通りの車道幅員は全部で約29.3メートルあるが、道路のほぼ中央部分に市電の軌道敷があるほか、現場付近においては右市電軌道敷の西側に隣接して安全地帯が設けられているため、安全地帯以西にあたる西側車道部分(北行車両三車線分)の幅員は約10.7メートルにとどまること、(なお、以上は、いずれも本件集団行動当時における現場付近の状況)、ところで、本件の「すわりこみ」が約五分間にもわたつて交通のきわめてひんぱんな前記のような市道大津通り西側車道上において行なわれたことのゆえに、この間右道路を南方から北進して現場にさしかかつた車両のほとんどが同所付近において停滞するのやむなきに至つたばかりでなく、警官隊の規制によつて、「すわりこみ」が中止されたのちにおいても、現場付近における同市道の交通状況が、通常の状態に回復するまでには、なお相当時分を要し、この間における現場付近の交通混乱は著しいものがあつたといわざるを得ないこと、以上の事実を認定するに十分である。そして、右認定のような事実関係に照らすと、原判決の説示しているように、被告人らがすわりこんだ本件現場は車道の西側端沿いの部分であつて、その占拠幅員は、歩車道の境界線より約2.7メートル(占拠面積約二三平方メートル)であつて、場所的には、四列縦隊として適法に行進できる道路面積を超過していないこと、その他右のような交通混乱は、本件のデモ隊の右側(東側)に二列になつて並進していた機動隊員が、デモ隊による「すわりこみ」の継続中も、ひき続きその右側(東側)に佇立していたことなどのために一層拍車をかけられたものと考えられることなど、証拠により認めうる諸般の状況を十分考慮に容れて検討してみても、被告人らが本件の集団行動に際して行なつた前記のような「すわりこみ」によつて、現場付近においては著しい交通障害が起こり、ひいては、直接公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起することが明らかな状態を現出するに至つたことは、明らかであつて、疑いを容れないものというべきである。
そうだとすれば、被告人らの行なつた本件の「すわりこみ」がいわゆる条件違反の罪の構成要件を充足し、かつ道交法七六条四項二号に違反し同法一二〇条一項九号に該当する犯罪を構成することは明らかといわなければならないから、被告人らの行なつた本件の「すわりこみ」によつては、いまだ著しい交通障害の状態は生じなかつたものと認めるのほかないとして、本件公訴事実中、右の「すわりこみ」に関する部分について、被告人らを無罪とした原判決には事実誤認の違法があることに帰着し、しかも原判決の犯した右事実誤認の違法が判決に影響を及ぶすことは明らかであるから、原判決は、この点において全部破棄を免れない。本論旨は理由がある。
よつて、量刑不当に対する判断を省略して、刑訴法三九七条一項、三八二条に則り、原判決を全部破棄するが、本件は、原審および当審において取り調べた証拠により、当裁判所において、直ちに判決することができるものと認められるので、同法四〇〇条但書に従い、さらに判決する。
(罪となるべき事実)
被告人三名は、昭和四三年一月一九日、米原子力空母エンタープライズ号の佐世保港入港に反対するエンタープライズ寄港阻止実行委員会が、名古屋市中区栄町三丁目所在の矢場町交差点から同区南外堀町所在のライオンパークに至る間の道路上において集団示威行進なつた際、学生約一三〇名とともに同行進に参加したものであるが、同行進は、愛知県公安委員会から、「うずまき行進、蛇行進、またはことさらに巾を広げ、もしくは遅足行進、停滞その他一般の交通に障害を及ぼすような形態にならないこと」などの条件で許可されていたのにもかかわらず、同日午後六時一四分ごろから同三一分ごろまでの間、同区栄三丁目三三番一〇号先から同丁目四番六号先に至る大津通り道路上において、共謀のうえ、右許可条件に違反して、四列縦隊で幅約6メートルから8.7メートル距離約八二メートル、幅約8.2メートル距離約18.7メートルおよび幅約9.4メートル距離13.5メートルの三回にわたり、交通秩序に著しい障害を及ぼすような蛇行進を行ない、さらに、同日午後七時五分ごろから同一〇分ごろまでの間、同区丸の内三丁目四番一〇号先車道上において、右隊列のまま、著しく交通秩序を妨害するような方法ですわりこみ、もつて公共の安全を直接危険ならしめるような事態を惹起することが明らかな状態を現出するに至らしめたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人らの判示所為中、いわゆる公安条例――正確には、行進又は集団示威運動に関する条例(愛知県条例昭和二四年第三〇号)――違反の点は、包括して、刑法六〇条、右県条例五条一項後段(四条三項)、罰金等臨時措置法二条一項に、道交法違反の点は、刑法六〇条、道交法一二〇条一項九号、七六条四項二号、罰金等臨時措置法二条一項にそれぞれ該当するところ、右県条例違反の罪と道交法違反の罪との間には、一個の行為で数個の罪名に触れる場合にあたる関係があるので、刑法五四条一項前段、一〇条に則り、そのうち重い前記県条例違反の罪の刑によつて処断することとし、判示条件違反の態様、程度を初め、被告人らが本件集団行動に参加するに至つた動機、目的およびその集団行動において果たした役割など、証拠により認めうる諸般の情状を総合考量して、その所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内において、被告人三名をそれぞれ罰金一〇、〇〇〇円に処し、被告人らにおいて、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置することとし、なお、原審および当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書に従い、これを被告人らに負担させないこととする。
最後に、弁護人が原審において縷々主張した県条例違憲論に対する当裁判所の判断は、以上に詳細説示したところによるほか、その余の部分に関しては、原判決がその弁護人の主張に対する判断の欄において説示しているところと同一であるから、ここにこれを引用する。
以上の理由によつて主文のとおり判決する。(村上悦雄 菊地博 服部正明)